私は無神論者だ。
多くの日本人がそうであるように、クリスマスにはケーキを食べ新年にはお参りをし、苦しい時には神頼みをする。

そんな私が同郷の友人の誘いで築地本願寺へお坊様の説法を聴きに行った。
彼女も無神論者だが、本人曰く築地本願寺の誘いは「視野を広げたいから」と言っていた。だが、もしかしたら私の病気を気遣ってのことだったかもしれない。

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約30分の説法は19時から始まった。
説法は静けさの中で響き渡るお坊様の「南無阿弥陀仏」から始まる。心地よい声色で知らず知らずの内に話に引き込まれる。

説法の中で、死に関して2つのアプローチがなされていた。
1つは念仏を唱えることで浄土へ導かれること、「死」とはその瞬間に過ぎない。
もう1つはお坊様の祖父の死を通して語られた「死んだら終わりではない」に至る話だった。

特に説法の中にあった「死んだら終わりではない」の言葉が胸に刻まれた。
私自身、すい臓がんに罹患し「死」を現実的なものとして意識したとき、その先について考えるようになった。それは決してマイナスイメージではない。

遅かれ早かれ全ての人に訪れる「死」を、ネガティブではなくポジティブに捉える浄土真宗は、その教えを知らない私の生死観と不思議なほど似ていた。
正直なところ、今の私にはまだ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え、浄土へと導かれる自分を想像できない。
けれど、死んだら終わりではない、その先にはまた別の世界がある。肉体は滅んでも魂は次の場所へ行くだけ。だからこの先、私が居なくなっても親兄姉、親しい友人達には悲しんでほしくない。心からそう願うのだ。

築地本願寺 説法

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